決定的非瞬間

決定的非瞬間

The Decisive Accum-Moments


決定的非瞬間とは?(What is "The Decisive Accum-Moments" ?)

  時間と空間 を

      [機械的に]光と影で切り取り
      [時間軸で]再構成して
      [一枚の画像に]表したもの

                          by 佐治足康(2022)


それは「キセキのヒコーキ」から始まった

 「キセキのヒコーキ」を撮るようになるまでの経緯についてはもう書いた。 初めてこの画像が現れた時の感激はいまでも忘れない。 いい歳をした乗り物大好き少年がヒコーキの写真を上手に撮れて喜んでいる、というのは間違いないのだが、 それ以上の面白さがここには潜んでいるのでは?という直観が同時に浮かび上がったのだ。

  わからないときは続けてみるしかない。撮影時間帯、ロケーションを変えてみること数か月、 次にこの画像が現れたとき、 ああ、これはやっぱり面白いのだ! と、最初の直観は確信に変わった。 それまでに考えていた「キセキのヒコーキ」というコトバを作品シリーズ名として 使い続けることに決めたのも、佐治足康という作家名で継続的に発表していこうと決めたのもこの時だ。

  「キセキのヒコーキ」をいろんな写真ギャラリーで展示するにつれて、 「こんな写真は見たことがない」という嬉しいご感想を頂くことが増えてきた。 ただ、撮影者本人にしてみれば、 いったいこの作品のどこの何を指して「見たことがない」と 言って下さっているのかは正直分からないでいた。 やがて、実は撮影者本人ですら「自分でも本当は何を撮っているのか分かっていない」のだと 気付くようになった。夜空を行く飛行機にレンズを向けて撮っているのにも関わらずだ。 ともあれ、「キセキのヒコーキ」が面白いと思える理由はどうやらその辺にあるらしい、 ということだけは分かってきた。 世界的に旅客便が激減し、撮影に難渋していた2020年頃のことだと記憶している。

  わからないときは続けてみるしかないのだ。 撮影手法や機材を改良したり、 いろんなところへ遠征してみたり、 作品に適したプリントをいろいろ試してみたり、 作品発表の場を広げてみたり。 いつのまにかもう6年以上「キセキのヒコーキ」を撮っていることになる。

「キセキのヒコーキ」から「決定的非瞬間」の発見

  自分の作品を改めてじっくり眺めてみる。これは ブレッソンが言うところの 「決定的瞬間」だろうか? いや、よく考えるとどうもそうではなさそうだ。 ということは、"非"決定的瞬間 を撮ったということか? いや、作品自体は「決定的」なのには違いない。 だから、理屈では"非瞬間"を撮ったということになるみたいだ。 うん。言葉が先行している。

  ところで、「非瞬間」ってどういうことだ? ありそうでなさそうな言葉の予感がした。 じっさい、調べ始めたところ、 どういうわけかこんな簡単な言葉がなかなか見つからない。 ようやく『非「瞬間」』という言葉の出てくるひとつの論文を見つけ、 そこで被写体の動きを写し止めようとする 「フォトディナミズモ」と呼ばれる ムーブメントが100年以上も前に存在していたことを知った。

  この「フォトディナミズモ」と、世界で初めて連続撮影をした Eadweard Muybrdge の 「クロノフォトグラフィー」とを結びつけ、 連続撮影して得た画像を一枚に合成するという文脈で これを現代のデジタル技術で再現したものと 捉えればよさそうだと分かってきた。 ここまでくれば、あとは写真史を軸に調べていき、論理の確認と肉付けをしていけばいい。 話が芸術や認知心理学などに拡散していくのは目に見えていたので、 収拾がつかなくなる前に現時点(2022年10月現在)での考えをいったんまとめておこうと思った。

  以上の経緯より、「決定的非瞬間」という言葉を新たに提唱したい。 (2022年9月30日の時点で、この言葉はGoogle検索ではヒットしなかった!)

  現状の論理だてを以降に記しておき、今後、詳細な検討を進めていきたい。

「キセキのヒコーキ」はなぜ面白いのか(論考中)

参考文献(References)


佐治 足康(さじたりやす/SAZI Tariyasu)   sazittarius@mbr.nifty.com